こんにちは、元公務員のわらはきです。
「適応障害」を発症したことをきっかけに、市役所を退職しました。
いろんな職場で増えてるらしいが、よく知らない病気だな。
精神疾患の中でも、「うつ病」などに比べると、あまり知られていないですよね。
本記事では、適応障害になったわたしが、発症からの1年間をどのように過ごしていたのか紹介します。
「自分も発症したけど、同じ病気の人はどう過ごしてるんだろう。いつか治るのかな?」 「家族が発症したけど、どう接すればいいんだろう。なにか気をつけることはあるのかな?」
このようにお悩みの方に、わたしの経験が少しでも参考になれば嬉しいです。
うち4年間、生活保護担当として、精神疾患者の精神科受診に同行したり、精神科の閉鎖病棟に入院する方との面談なども行っていました。
その後、公務員10年目に自身がメンタルダウンで休職。今度は自分のために精神科を受診し、適応障害の肩書を取得。
現在は、自宅でブログを書いて生活しています。
診断前の生活状況
はじめに、発症する前のわたしの生活状況についてお話しします。
6月の上旬に発症するのですが、その2か月前。年度はじめに異動がありました。
異動先は、財政を担当する係。市役所の中でも、割と忙しいところです。
異動は3度目、これまでも忙しい部署は経験してきましたが、当時はちょうどコロナ禍。
通常の業務に加え、例年にない業務も抱えていました(臨時の財政措置や独自のコロナ施策立案など)。
このため、4月中旬からは連日残業が続き、振り返ると50連勤を超えることに。
安倍元首相は147連勤って、麻生さんが言ってたよ。
一国の代表と比較しないで笑
安倍さんのご回復を心よりお祈りします。
連勤はともかく、この業務状況については後日、当時の上司も「異常だった」と話しています。
ただ、わたしが適応障害を発症してしまうのは、この異常さを少し抜けた6月上旬。
周りからは、「異動による環境の変化と、忙しさ」が原因のように思われたようです。
たしかに原因のひとつだと思っていますが、わたしにとっての一番の苦痛は、「家族との時間を優先できない」ことでした。
じつは、6月上旬には妻と1歳になる長男の誕生日がありました。
できれば長男の誕生日だけでも休みたいと考えていましたが、職場の状況から休むことを言い出せませんでした。
そんな自分が情けなく、腹が立ったことを今でも覚えています。
ここまで読んで、「ただの甘えじゃん。社会人なのに、そんな都合よく休めるかよ」と思ったかもしれません。
当然だと思います。
それでも、家族との時間が確保できない状況、そしてその状況にいる自分が嫌で仕方なかった。わたしにとっては、何よりつらいことでした。
そして、とうとう妻の誕生日には、体に異変が生じます。
体に起きた異変
その日の朝、突然胃の痛みを感じました。
この少し前から、不眠の症状は出ていました。しかし、多忙には慣れっこ、ストレスにも強いという変な自覚があったわたし。
特段気にすることなく、この日も当たり前に仕事に行くつもりでした。
しかし、「ちょっと仕事には行けないかな」と思う痛みを感じました。
近くの胃腸科に行くと、詳しい検査のため、別の病院を紹介されます。
このときは、さすがに不安でした。
検査結果は「萎縮性胃炎」。入院にはならず、正直ホッとしました。理由は「仕事に行けるから」。
「重要なメール来てないかな」、「あの業務も早くやらなきゃ」など、仕事で頭がいっぱいでした。
検査日の翌日まで休み、「よし、また今日から頑張ろう!」と気合いを入れた日の朝、今度は体が一切動かなくなりました。
ベッドから全く動けない状態。
わたしはかなりパニックだったようで、このときのことは、1年以上経過した今でもはっきり思い出せません。
妻によると、ベッドの上でうつ伏せのわたしは「仕事行かなきゃ。(周りに)迷惑がかかる。」と泣きながら繰り返し、体を起こそうとしていたようです。
そんななか覚えているのは、1歳の長男が心配そうな顔で、わたしに体をピタッとくっつけてくれたことです。
なぜかここだけ鮮明に覚えています。
診断を受けた心境
精神科の予約がとれた日までは、「早く仕事に行かないと」、「なんで体が動かないんだろう」、
「病気じゃないのに」とグルグル考え、訳もわからず涙が出ました。
そして、精神科受診の日。
診察では、ただ生活の様子を話すだけなのに、涙で上手く話せない。
どうにか伝えたあと、精神科医から「適応障害」と告げられます。
自身が、病気を発症したことが確定した瞬間。
頭の中に「適応障害」の漢字が浮かび、それと同時に
「え・・・頑張ってたつもりだけど、何に適応できないってこと?仕事?じゃあ、だめじゃん俺。社会人失格だ」
と、自分に無力さを感じました。
異常なほど忙しかったことに思いは至らず、無力感だけが体を支配していました。
発症から3か月間
この時期は、頭は働かず、何もやる気が起きませんでした。
あの日を境に生活が一変しました。
「仕事は続けられない」と思い、それを親に話すと反対されます。
今でこそ、それが公務員を辞めると言い出した子に対する一般的な反応だと理解できます。
しかし、当時のわたしは、自分のすべてを否定されたように錯覚し、再度落ち込みました。
また、この時期には近場に家族旅行に行きました。
妻が気分転換にと計画してくれたもので、長男含め3人で落ち着いて過ごすことができ、久しぶりに「楽しい」と感じました。
一方で、そんな自分に対して「仕事には行けないくせに、甘えてるな。」という思いが常にありました。
「適応障害」が、
・ある特定の環境等で症状が出る
・それ以外では症状が緩和する
ということを、しっかり理解できていなかったからです。医師から説明されていたはずですが、そこまで考えられませんでした。
旅行の後くらいからは、処方された睡眠導入剤で眠れるようになり、精神薬も服用を続けましたが、日中は自宅でふさぎ込む毎日が続きました。
その他、この時期の大きな変化としては、精神科を変えました。
最初に受診した病院はいつも患者が多く、ゆっくりと話しができなかったことが一番の理由です。また、これは個人の考え方になりますが、
徐々に多くなる精神薬に不安を感じていたので、思い切って変えることにしました。
発症4か月目から10か月目
起床も就寝もバラバラな毎日から、生活のリズムが少しずつ整ってきました。
新しい精神科で処方された漢方薬が、体質に合ったことも良かったようです。
また、コンビニや本屋など、ちょっとした外出ができるようになりました。
それでも、「自分に甘い、サボっている」という考えは常につきまといます。
周りの目も、すごく気になるようになっていました。
職場には行けず、試しに行くことを考えるだけでも、動悸がする状況でした。
当たり前にやれていたことができなくなり、強烈な無力感が襲ってくることが苦しかったです。
そんな中、生活環境を変えるため引っ越しをし、職場から距離的に離れました。
また、アパートから戸建てに変わり、周りも畑で囲まれた環境になったことで、
家の周りを散歩したりできるようになりました。
精神科医には、「引っ越しをすると、その疲れが一気に出て不安定になる場合もあるよ」と心配
してもらいましたが、わたしの場合は回復のきっかけになりました。
発症10か月目以降
この時期には、引っ越し先の環境も自分にあったためか、物事を少しずつ冷静に考えられるようになりました。
どうして「適応障害」になったのか。そして、これからをどう過ごしていきたいのか。
わたしの場合、最優先したいのは「家族」であり、それがかなわない日々が「適応障害」をまねいたこと。
あくまで自分自身の選択が発症をまねいたと考えられるようになりました。
そして、これからの生活を考えたとき、復職はせず、公務員を辞める決断をします。
この決断のおかげで、ただ休むという日々に、目的が生まれました。
もちろん休職期間なので、体と心を休めるということが第一です。ただ、今後のために自分自身のスキルを磨く必要があると
思い、できることから勉強を始めました。この勉強の日々が、結果的に体と心の安定につながりました。
今だから冷静に考えられること
これまで、わたしの1年間の生活を紹介しました。
そして、1年以上経った今だからこそ冷静に考えられることがあります。
焦らなくていい(発症前には戻れない)
「発症前には戻れない」なんて、残酷な一言だと思いますか?でも、これが事実です。
わたし自身、発症直後は「早く発症前の状態に戻らないといけない。仕事をしないといけない。」と考えていました。
けど、この考え方はおかしいと気づきました。
なぜなら、発症前に戻ったとしても、また発症するだけだから。
逆に言えば、どう頑張っても戻れないため、焦らずに上手く付き合っていくしかありません。
「適応障害」を理解する
焦らずに休養するなかで、「適応障害」についてきちんと理解することも大切です。
「仕事に行けないのは自分に甘いから」とか「休んでいるときは元気なのに」など、どうしても自分自身を
責めたくなりますが、そういう病気だということを理解しましょう。
わたしは、適応障害=環境障害と思うようにしています。
その環境自体が、自分が適応するに値しなかった。
たとえば騒音問題も、聞こえる側がうるさいと思えば、その時点で騒音です。
あなたが適応できなかったのは、環境が悪かったからです。
何が原因なのか、はっきりさせること
これは、かなり重要です。ここを曖昧にさせないことが、回復につながります。
発症後は、とにかく頭が働かないため、割り切って休みましょう。
焦ることなく、少し落ち着いてから、「発症の原因はなにか」、「何が自分にとって大切なのか」考えてみましょう。
周りから見た原因と、自身が考える原因は違うかもしれません。
ここがはっきりすると、進むべき道が見えてきます。
わたしも、原因はなにか、何を大切にしたいのか、がはっきりし、それを踏まえて別の道を歩きだすことができました。
「適応障害」のおかげなので、動かなくなった自分の体を褒めたいと思えるようになりました。
わらはき から最後に一言
適応障害に限らず、精神を病む方は年々増えています。
もはや、特別な病気ではありません。
わたしも、絶賛治療中です。
焦ることなく、ゆっくり付き合っていきましょう。